いわゆるフリーゲームに関する感想や二次創作メインに投稿しています(2023年現在)。取り扱い作品:『冠を持つ神の手』

2013年2月25日月曜日

【かもかてSS】SUB ROSA(1/4)

▼1/4【前編】/▼2/4【後編】/▼3/4【後日談】/▼4/4後記



【 注 意 】
・もしも(if)もの要注意
 小さい頃に主人公が見つかっていた場合
 で、タナッセ愛情ルート行けないかと駆け抜けてみんとす
 つまりいつも以上にご都合主義
・今回の設定は「イルアノが海に出る前に発見・登城した場合」
・主人公=本来なかった異物の介入により起きない外伝イベント多数
 雑記の没台詞要素がほんのりアリ
・タナッセ視点三人称



距離が離れていても
向き合っていれば
何が起きるのか
配点(応答)     
(『境界線上のホライゾン きみとあさまでⅢ〈下〉』/川上稔)



S U B  R O S A



 【ファーストコンタクト/Not Awaken】

 みすぼらしいいきもの。
 鹿車から降り立った“それ”への第一印象は一言に集約される。最低限登城前に身なりは整えたようだが、うなじまでの短い黒髪はぱさついて艶もなく、手や頬も肌荒れを起こして見えて――何より“それ”を迎えに行った侍従とタナッセたちの間を何度も行き来する瞳が情けなかった。
 彼は確か隣で手を握っているヴァイルと同い年の六歳だったはずだが、身を縮め緊張した様子のためだろう、更に幼くタナッセの目に映る。あんまり怯えが強いようだったので、もう一人の存在を知ってから腹に溜まっていた得も言われぬ感情が静かに散っていく。残るものもあったが、強烈さは薄れてしまった。
 ヴァイルはと言うと、見慣れない存在への躊躇いより同じものが同じ場所にある興味が強くなったらしい。一歩下がっていた従弟はすぐさま彼へ寄っていこうとする。タナッセの反応が遅れたため早くはやくと高い声が急かしながら、握った手を力任せに引っ張る。
 白髪の侍従の手がもう一人の彼の背に当てられ、ヴァイル様とタナッセ様です、と軽く押し出された。彼は顔を強ばらせたが、何事か言う前にタナッセとヴァイルが辿り着く。
 ヴァイルは気にせず黒髪の額を陽光に晒すと感嘆の息を漏らした。複雑な模様を描く印を遠慮なく擦り、もう一度息をつく。ほんとうにぼくと同じなんだ。
 驚きながらも楽しがるヴァイルに対し、タナッセは逆意として息を吐いた。挨拶を忘れているとか初対面の人間に些か踏み込みすぎているとか、色々と貴族の子として問題だろう。彼も挨拶の機を逸してしまった。加えて庶民の子であるというもう一人は、父は知れず母は亡くしたばかりで辛いだろうに、見知らぬ場所に来た直後の歓迎がこれだ。先までの身を小さくしようとする萎縮の態度や、年が近い人間が近づいただけで強ばる表情など見ると、今額を押さえてしかめ面しているだけなのが奇跡に感じる。辺境の出と聞いていたし、ヴァイルなどより手は出やすいものと考えていたのだが。
 早速名前を呼んだり、具体的にどの辺りからやってきたか尋ねたり、ヴァイルは元気にもう一人の空いている方の手を握って話しかけ始めた。唐突な印確認と異なり、さすがにタナッセも質問責めには割って入る。止められた従弟は不機嫌そうだったが、事前に知らされていた情報と合わせた静止の理由を耳打ちすると、ごめんと謝り出す。
 びっくりしてほんとうなのって思って、ほんとうにきたからまたびっくりしたの。
 心底からの謝罪はもう一人にも届いたらしかった。彼は表情の生硬さを少しそぎ落とすと肯いた。
 じゃあ、いい。嫌がらせじゃないなら、いい。
 初めて耳にするもう一人の寵愛者の声は、舌足らずながらもヴァイルほどの甘さを宿さずタナッセに届く。その響きは高すぎず低すぎず、繊細に調弦された弦楽器に似て張りつめていた。答えに安堵するヴァイルの吐息を最後に、淡い沈黙が横たわる。それを良い切り上げ時としたものだろう、もう一人を連れてきた侍従が国王への謁見を促し、もう一人も小さく首を引いて答えとした。
 おんなじとうにいるから、こんどあそぼうね。
 ヴァイルは手を振り去ろうとする彼は躊躇いを見せながらも肯いて。
 タナッセも複雑を感じることが否めないもう一人に初めて声を掛ける。思うことは、不審は天に届かんばかりにあった。だが、危惧の中身を実行など出来なさそうな、当たり前に子供である彼へ口にしていい内容は欠片もない。だから代わりに言うべきは、傷の透けて見える緊張に対し言うべきは、
「遠いところからよく来たな。疲れたろう、母――国王との謁見が終わってからになるがよく休ませてもらうといい」
 気遣いの言葉を投げると、少し丸まった去りゆく背がしゃんと伸びて振り返った。終始何かを拒むようだった半眼が僅かに見開かれている。頬に伝う透明は、涙にしか見えない。涙でしか有り得ない。タナッセは目をむいたが、けれど、彼は鹿車を降り立ってから初めて相好を崩した。そして短くうん、と言うなり頬の雫を拭わないまま改めて侍従の後ろに着いていく。
 ――一世代に一人しか寵愛者は現れないと聞いてタナッセは育った。よってもう一人があったと知らされよぎったのは、間もなくヴァイルが死ぬのではないかという恐ろしい考え。なのにもう一人が現実に顔を見せようと従弟はいつも通りの調子で、もう一人はと言えばただの田舎の子供にしか見えない。しかも涙もろいときた。
 もう一人の存在は、また何か理由があるのだろうか。タナッセの悩みを従弟は当然知るはずもなく、ずっと待っていたら疲れた休もうと中庭へ引っ張っていくのだった。

          *

 その日のうちにタナッセは、珍しく一人だけ母の自室に呼び出された。
 良からぬねじ曲がった噂を耳にする前に真実を言っておくべきだろうと考えた、と彼女は言い、もう一人が来る前に告げた内容に虚偽が一つあるのだと少し苦しげな顔をする。対外的にはもう一人の彼の母親は不慮の事故で亡くなったとしているが、真実は違う、と。
 わざわざ死因を隠さねばならない理由などタナッセには最近知った一つしか思いつかなかった。母は彼の想像通りを口にする。
 あのこどもの母親は、魔に誘われた――つまりは自殺したのだ。
 そして、一番最初に見つけたのが、たった一人の家族であった彼なのだ、と。
 タナッセの中で合点がいった。魔に誘われた者など外聞が悪く、隠蔽されることも多いと読んだことがある。自殺者が出た家は爪弾きになるとも。父の知れない家庭で育ち、母は自殺者になり……残った彼が村でどんな扱いだったか想像に難くない。
「あやつは王になりたくない、と言ったよ。……王になると言わなければ居場所がないなら諦めるけれど、と。無論そのような決心をせずとも印がある以上追い出したりなどせぬし、我がそう告げたら重ねてならぬと返されたがな」
 だから、と母は続ける。暗い面持ちで、それでも声音は普段と変わらないまま、神の真意が知れず不安はあろうが、あまりきつく当たるのだけは避けておくれ、と噛んで含める調子で言った。
 もう一人は、タナッセの義理の弟となるらしい。後ろ盾など望めるわけもない庶民の寵愛者なのだから当然であるのだが、どうしても出会う前から彼に感じていた苦手の思いが顔を覗かせた。
 だが母が、タナッセが何より尊敬する母が、言ったのだ。ヴァイルは同い年で、気遣ってやれるのはお主だけなのだ、二人の面倒を見るのは苦労が多いだろうが頼む――――。
 お主だけ。頼む。
 たった二語が、彼にとってどれ程の感情を渦巻かせたか。タナッセ自身ですら掴みかねる想いが胸中に熱く、気付けば自室のある階に戻っていたという有様だった。





 【へいたんなせんじょう/little savior】


 叫ばれた言葉の中身に絶句して、タナッセは小さな背を見詰めていた。
 しかしこれはどうしたことかと思う。確か目の前の彼とタナッセは静寂を尊ぶ場所にいたはずなのだが。正面切って庇われたためしが記憶にないために、取るべき反応が瞬間分からない。何故、こうなったのか。

          *

 そもそもの話は、タナッセが一人図書室へ訪れたことから始まる。
 先日、ヴァイルの父イルアノがやってきた。普段タナッセの手を離さない従弟はイルアノが来ると途端にタナッセがいらないものになるらしく、茶の席を共にしようと視界の隅にも入らない。
 もう一人などは尚更で、イルアノは彼らを、特に環境への順応などほど遠く「親」というものに過敏反応しがちなもう一人を気遣い、自由時間を与えた。とはいえ、彼にしろタナッセにしろ、なら二人で遊ぶかと流れる距離感ではない。自然、どちらからともなく別れることになる。
 タナッセは一旦自室に戻って今日返却予定だった書物を持ち図書室に向かったのだが、扉を開けてみればもう一人が机に向かっていた。貴族であれば受けていたろう習い事全般を始めたらしいから、復習か、あるいは何か絵物語でも読んでいるのかも知れない。
 近づいてみるとやはり本が広げられている。ただし、内容が予想を大きく外れていた。
「おい……もう詩など読めるのか?」
 真剣な顔が文面からタナッセに向けられた。首を横に何度か振って、ヴァイルが、とあの高くも低くもない、けれど張りつめたものを覚えない声で言う。ヴァイルが、剣術が厭ならきっと本が好きなんじゃないかって勧めてくれたから、頑張ろうって。
 よくよく見れば、脇に置かれた紙には彼が読んでいる詩集の単語がいくつか並んでおり、一番上には「よめないの わからないの」と書いてある。一通り目を通し、分からない部分をあとで調べるつもりだったのか。しかし読めない単語は既に紙数枚に及んでいる。やはり、彼にはまだ絵物語辺りがせいぜいなのだろう。
 見てしまった以上、放っておくのも気分が悪い。居心地が悪いだけの他人の「親」との茶会のあと、更に強烈な不理解で読書体験を終えるというのはいかにも残酷に思える。母リリアノにも優しくしてやれと頼まれた。……義理とはいえ、兄弟関係にもなった。タナッセは新しく読む本を選ぶ時間を諦め、いまだ服に着られる黒髪の横に座って言ってやった。
「一度読んだことがある詩集だ。――どこが分からない」
 表情の薄かった彼の顔に、明らかな喜色が見る間に広がる。瞳に湖の水面の輝きをたたえ、彼は笑った。ありがとう、嬉しい。
 なんだ、とタナッセの中で拍子抜けが起きる。どこで起きたか己でも分からないが、確かに何かが力抜けした。
 早速、と紙に指を滑らせる彼の手はタナッセのものともヴァイルのものとも全く違っていて、今までの生活が忍ばれた。まるで下働きの人間のような、肌荒れと皮膚の硬さが見ただけで分かる小さな手だ。
 問われるままに答え、彼なりの説明を付け加え。示される疑問を潰していると、不意に声が掛かった。タナッセは顔を上げることを躊躇う。声の主は、いつも王子である彼に表面上は慇懃に振る舞うが、その実王配の座を狙うなと釘を刺してくるだけの貴族だったからだ。だが、無視出来るわけもない。
 ぎこちなく首を起こすと、温かくも冷たくもない、生温く気色の悪い笑みがあった。
 これから投げられる言葉が想像出来て、タナッセは苦い気分になる。ちらと目だけでもう一人を見ると――またあの硬い色が顔を覆っていた。初めて城に来た日の色だ。年齢からしても、もの知らぬ呑気な表情をしていると思ったのだが。
「これはこれは……さすが殿下ですな、ヴァイル様とも大層仲が宜しいようですし、こうして先頃いらっしゃったばかりの候補様とも既に親しくしていらっしゃる。いや城には他に同じ年頃の方はおりませんからなぁ。候補者様方はどちらも殿下よりお若くいらっしゃる、大変もあるとは存じますが――――」
 長々遠回しに喋っているが、要約すれば言いたいことは常と変わらず、だ。今回はもう一人の分、内容が増えたが大差はない。牽制だ。どうせ王配を狙っているのだろう、失敗した時用の二番手の確保に余念がないのだろう、という。
 もっと真正面から来たならば否定も容易なのだが、この相手はタナッセを閉口させはしても反論など欠片も許さない。だからただ、拳を握りしめて我慢の時間が終わるまで待つだけだ。それが、いつもだった。だが、
「いかがされましたかな、……候補者様」
 もう一人の、という単語を飲み込む僅かな間を持って、黒髪の彼に貴族は首を傾げる。呼ばれた彼は立ち上がって貴族の前に立つ。どうしたと同じく立ち上がったタナッセに返事をしないまま、変なこと言うなと彼はがなった。
 さっきから聞いてれば、タナッセに酷いことばかり言っているお前は何様なんだ。第一僕は王様にならない、なりたくないとはっきり陛下に言った。図書室は本を読んだり勉強する場所だ。嫌なことばかり言って邪魔するお前はどっか行け。行っちゃえ。
 ぶるぶると、握りしめた両手を身体の両脇で震わせながらそのようなことを彼は叫んだ。

          *

 記憶の旅はさほど時間が掛からなかったらしい。
 タナッセが思い返しから戻ってきたのは、田舎者の候補者に引きつった顔を向ける貴族が口を開こうとする瞬間だった。とはいえ彼に出来ることなどない。果たして貴族は田舎の子供への蔑みを、やはりもったいぶった調子でだらだら述べた。もう一人は台詞の最中幾度か肩を痙攣させたがそれ以上の反応を見せず、言い終えて妙にしたり顔な貴族に例の張りつめた声音で、吐き捨てた。
 言いたいことはそれだけですか。用事が終わったのなら、出て行って下さい。
 先までの語気の荒さがどこにもなく、タナッセは訝しく思う。貴族も落差に鼻白んだ様子で図書室から退出していった。すっかり姿が見えなくなってから、ようやく三つ年下の小さな背は振り返ってタナッセの顔を不安そうにじっと見詰める。意図が読めず、さりとて追い詰められた雰囲気すら感じる真剣な無言に喉から出るのは単発の音。なんなのだろうこの状況は、という疑問だけが頭の中で繰り返される。
 しばらくあって、大丈夫、平気、辛くない?そんな問いが彼の、義弟となった彼の口から発された。
 昔から変わらず痛みしかもたらさない貴族どもの在り方だ。だがいつも通りとも言える。故にタナッセは問題ないと肯きかけ――辛いのは否定がかなわないと動作を止めてしまう。不自然に動きを中断した彼の服の裾を、あの指が控えめにつまんだ。あの、年齢不相応な荒れた小さな指がつまんで、
「……ごめんなさい」
 自分と一緒にいたせいだ、と沈んだ謝罪があった。まずいな、とタナッセは急ぎ反論する。貴族社会で生きて行くに当たっての注意も加えて。
「いつものことだ。お前がいなかったとしても、あまり変わらない。だから謝るようなことじゃないし……先程のようなことも、今後はしなくていい」
 辛いのは違うって言わないのかと即座に微苦笑される。単語の意味を教えていた時と異なり、年下と話しているのだと――と言っても彼の身近な年下は従弟しかいなかったのだが――一瞬忘れた。同時に、目の前の存在が母を自殺で亡くしたばかりだという事実が改めてタナッセの胸に染み込んでいった。つままれた裾は、彼が身体を揺らしでもすれば元通りになりそうだ。
 タナッセは心中で深呼吸をする。まだわだかまるものはある。けれど、どれも複雑な表情を浮かべた年下のせいではない。
 彼が登城してきた日のように、振り切って。言うことに、した。
「……弟、だからな、お前はその、なったのだしな。だから変に気を遣うことはない。大体あれ以上に酷いことは、されない。お前が居た村ではどうだったかは知らないが、やられたところであれが関の山だ」
 つまり、
「そのだな、……お前の不安は杞憂だということだ」
 きゆう、と単語をオウム返ししてまだ暗い顔に彼は今度こそ肯いた。空と大地がひっくり返るか否かと頭を悩ませるぐらいに無意味な心配という意味だ、と追補すると、水が布に染みいるようにゆるゆると義弟の表情から大人びた色が払拭されていく。寄せられた眉は力を抜いて、細められた眼も少し重たげなだけの様子に。両端を引っ張り上げるようだった唇も自然な弧を描いた。
 伴い、つままれた裾もぎゅうっと握りこまれる。
 何度も首が上下して、良かった、と囁き声で彼ははにかんだ。
「ほんとによかった」
 初めて耳にする、彼の幼い舌足らずな安堵にタナッセは苦笑する。自分でも上手く慰められたものではないと自覚しているのに、心底からの安心が滲んだ様子はどうにも面映ゆいものだった。
「ありがとう」
 感謝など、過剰に過ぎる。
 タナッセは反応を濁し、ぎこちなく単語や詩歌の解説へ義弟を誘った。





 【誰かの幕間/interval】


 一泊を予定していたヨアマキス邸から自室のある塔へ戻ってくると、城がざわついていた。人の行き来があるわけではないが、夜と思えないほど落ち着きがない。母かヴァイル、あるいは義弟に問題でも起きたのかと思うが、ならばもの分からぬ様子の彼、タナッセに門に立つ衛士から声が掛からないはずもなく、結局ただ足早に自室がある塔へ向かうしかなかった。
 戻った彼は目をむく羽目になった。ヴァイルの侍従頭が、仕えるべき彼を誘拐する企てに乗っていたのだという。昼間共に遊んでいた義弟が様子のおかしさに気付き、聞き出したことで判明したらしい。二人の仲が良いこと、義弟の侍従が彼を城へ連れてきた侍従頭ローニカと、ローニカと同じ年頃の女の二人しかおらず、よっぽどがない限り常に共にあることが幸いした。
 既にヴァイルの侍従頭は拘束されたようだが、最も身近な人間の一人の犯行であったことは城全体への衝撃となったのだろう。そこかしこで溢れる不安定さも致し方がない話だ。
 タナッセは、傷心しているだろう従弟の様子を伺おうとしたが、既に眠っているということだった。別の階に部屋がある義弟も同じ寝台だという。
 イルアノが海へ行ってしまった時も――それ以前にタナッセを貴族から庇ったことなどもそうだったが、義弟は誰かの傷に敏感というか過敏というか、とにかく誰かの心痛を年に見合わぬほど慮って気遣う傾向にある。寵愛者らしく心が強いのだと初めの頃は考えていたが、最近は違和も覚えている。理由が判然としないことがまた彼の関心を捉えた。
 ともかく、無理に起こすわけにも行かない。
 今日彼に出来ることはないとタナッセも眠ることにした。全く、と彼は深く息をついた。父クレッセに無理矢理会わされようとしたことも、従弟の誘拐未遂も、散々な一日だ。
 疲労からか、寝台に入るとすぐに眠ってしまった。
 二つの散々からしばらくのち、タナッセは義弟や従弟と共に中途から母リリアノの巡幸に付いていくことになった。中途から、というのは、義弟にしろ従弟にしろ、魔に誘われたと思しき母親を持つため、彼の地――魔の草原には近づくことすら問題が大きいだろうという声が神殿側から上がったことに因る。タナッセとしては、聖山も古神殿もディットンの街にも訪れてはみたかったが、二人が行かないのに彼一人同行するなどという我儘など言えたものではなかった。
 遅れての出立前、義弟もディットンへの興味を零していたが、しょうがないよねと自身を納得させるように小さくちいさく微笑んだ。
 義弟の母は、ディットン出身だという噂をタナッセも耳にしたことがある。あるいは、と。そう思ったのかもしれなかった。なのに仕方ないとタナッセにぼやいただけで、義弟が何かをリリアノや側仕えに掛け合った様子はない。
 城の外へ出られることが楽しみでたまらないらしいヴァイルと笑いあいながらも、ふとした時に残念そうな表情が覗けていて、しかしタナッセは掛ける言葉を持てなかった。けれど義弟は彼の顔をふと見やると、今回我慢するだけ、と身を縮めるように肩をすくめた。
 しばらくぶりの帰還で、タナッセはまた目をむくことになる。
 大幅な人員入れ替えが起きたからだ。ヴァイルの侍従頭の裏切りがどれだけの行為だったか、改めて思い知った。元々、庶民出の二人目としてかなりの選別がされていたのだろう義弟の侍従二人だけが変わらぬ顔と言っても過言でないほど、かつての顔は側仕えとしては見当たらなかった。





 【金烏と玉兎、そして/Sun,Moon and】

 それからは、まるで何事もなかったように日々だけが過ぎていく。
 従弟は暇さえあれば義弟やタナッセを引っ張り回し、時には小さな喧嘩なども起きたがおおむね穏やかであったし、タナッセは先頃入ったばかりという修辞学のとある技法書を個人用に書写させて暗記するほど読み込み、詩歌への情熱が高めていった。いずれその技法書を書いた伯爵に師事したいと、そう思いながら。
 義弟はというと、環境に慣れるよりずっと早く城のごたつきに巻き込まれたせいか、年単位で時が過ぎたにも関わらず居心地が悪そうだった。
 彼は、タナッセが厭味を浴びせられていれば相変わらず――ただし図書室の一件ほどの苛烈さは抑えて――庇う。ヴァイルが無茶を言っても困惑顔をしつつもなるべく応えていたし、また、積極的に彼を引っ張っていってくれることは満更でもないように見えた。
 ただ、タナッセに気を遣ってか、実母への想いからか、あるいは両方なのか、義母リリアノに対しても一歩引いて接した。褒められているヴァイルを遠くから、紗幕を通した世界のように見詰めていたのは、従弟に悪いと思いながらもタナッセは幾らかの共感を持ってしまった。
 決して剣術は習わなかった。リリアノは強制をしなかった。継承権は放棄すると言い続け、何より刃物という刃物を見ると顔を青くする彼を押さえつけて強要するのはいかにも酷だったから、タナッセは母の決定にほっと胸を撫で下ろした。
 そして彼は、ことあるごとにタナッセを訪れた。
 もう一人の寵愛者に王になる気がないと周知されて以降、王にならないのなら王配の座を狙っているのだろうとタナッセの代わりとでもいうように悪意の矢面に立ちがちな義弟だ。おかげでタナッセは理解に苦しむ言いがかりをつけられることは大分減った。罪悪感も手伝って、請われれば持ってきた詩集の分かりにくい部分を教えたし、落ち込んだ様子で居れば理由を尋ねた。
 特に後者は二人にとって大切な在り方だった。王様になるために一生懸命なヴァイルには泣き言なんて言えないから、と相談事を持ってくる彼に助言したりつたない慰めをすれば、義弟はいつも、嬉しそうにしていた。毒にも薬にもならないと己でも罵倒したくなるほど頼りない慰めは、とりわけ嬉しいようだった。いまにも泣き出しそうな顔で、ありがとうと彼は笑うのだ。
 夜中、就寝中のタナッセの部屋へやってくることも片手で足りるほどだがあった。青白い顔で申し訳なさそうに小首を傾げる彼は、一緒の寝台で眠りたいと緊張が滲む声音で毎回言った。最近はなくなってしまったがヴァイルがそうすることも昔はよくあったし断る理由もなかったので許可すると、持ってきた枕を力一杯抱きしめて、やはり感謝を口にする。年下とはヴァイルのようにそれなりの我儘を持ち合わせた存在と思っていたタナッセは、正直意外の念を抱いた。
 義弟への印象は一定しない。
 寵愛者らしく心が強いと思うことがある。剣術をしない代わりに護身系の体術を中心の武術を行っているらしいが、それなりの腕前と聞く。勉学も、ヴァイルからはかなり遅れてはいたものの、六つになってようやく読み書き出来るようになった前提を思えば相当速度で追い上げてきている。中でも身嗜みや交渉術はタナッセも目を見張るものがあった。舞踏会での立ち振る舞いなどもリリアノやヴァイルに比してこなれないところも見受けられるが、おおよそ問題なくこなした。
 一方、母や従弟の支えには碌すっぽなれた試しのないタナッセの、ありきたりな慰めを義弟は求めてくる。タナッセの部屋を訪れる理由はほとんどが、義弟曰く泣き言を言うためで、確かに侍従へ部屋へ通された彼はタナッセの顔を見るなり無表情をやめて情けないしょぼくれた表情になる。
 ヴァイルとはまた違った難しさが彼にはあった。真逆と言っても良かった。
 従弟は我儘でタナッセは困ることも多く――どうしても消えない複雑な思いもあるが、それらは全て悪意故のものではなく、決して嫌いではない。大切な家族だ。
 義弟は田舎出の寵愛者の割に何かと達者と評されタナッセも全く肯定するところなのだが、従弟とは仲も良く部屋を訪れた彼は弟の響きに相応しい言動を取って、当初もう一人に対して持っていた危惧はなんだったかと感じることしきりだ。
 タナッセが振り回されるという一点において二人は被るが、従弟は赤子の頃からの付き合いであるため、ここ一年ほどは不明瞭な部分も出てものの尚考えが分かりやすい。義弟は出会いからして反応が読めない。
 不愉快は感じないが、不思議だとは常々思う。
 不思議なことはまだある。
 出会ったあの日、他愛ないタナッセの言葉で涙を流した彼は、あれから一度も泣いたことがないのだ。泣く一歩手前のような表情にはなるのに。涙は僅かに眼球を潤ませ義弟の瞳の輝きを増しただけ。それでおしまい。
 彼はかつて、何故泣いたのか。

          *

 厚い雲がいくつも上空に漂う市の日だった。義弟が珍しく晴れやかな空気を纏ってタナッセの部屋に訪れ、頬を紅潮させて言ったのだ。
 市に行っても構わないとローニカに言われたが、タナッセと一緒に見て回りたい、予定は空いているだろうか。
 市を見て回るのは表向き問題ないとされていたものの、寵愛者二人は共に推奨はされておらず、従順であることが多い義弟は正式に許可が下りるまで憧れを持って市を眺めていた。義弟が城に来てすぐの市の日、ヴァイルは付き合いが悪いと不満たらたらだったが、彼に何か耳打ちされるとじゃあそれでチャラだ、と一転満面の笑みで彼を引っ張っていく一幕もあった。
 そして、今日ようやく市への外出許可が明示されたのだろう。
「ヴァイルはどうした?」
 タナッセが尋ねると、義弟は小首を傾げる。黒の、毛先だけが淡く内向きに巻いた髪が白の頬にかかったが、気にせず彼は呟いた。
 ヴァイルが居ないと、嫌だろうか。
 悄然とした様だ。何故と疑問もするが、さておき勘違いだと打ち消してやる。落ち込みは即座に薄れ、変わって華やかな笑みが頬に上って一度は冷えた頬も再び赤みを帯び始めた。義弟は白く細く滑らかになった手を唇に当て、軽やかに笑う。
 タナッセと一緒に見たかったから断られたらどうしよかと思った、嬉しい。
 ちなみに従弟は今日、リリアノの視察に付き合って城外なのだという。過去の記憶を思い出しくすぶるものが胸中に生まれるが、義弟の手がタナッセの手を引いてそれは散らされる。
 本当に、珍しい――いや、初めてだ、手を繋ぐのは。しかも、早く行こうと引っ張りさえする。義弟の握りは甘く、足どころか腕すら動かないささやかな引っ張りではあったが、
「そんなに急がなくても市は逃げないしなくならないだろう、少し落ち着け」
 諭す。義弟は笑顔の種類を苦笑に変えて、市も楽しみだがタナッセと一緒なのがもっと楽しいのだと伏し気味の睫毛を更に細めた。陽光は雲に隠れがちだが、黒の長い睫毛は薄い光を集めて弾き、眩しいぐらい輝いている。
 市で義弟は終始上機嫌だった。
 だというのに、タナッセに泣き言を言うため、あるいは詩歌を教わるため部屋にやってきた時に見る頼りなさが言動には常にあった。負の感情からその頼りなさが来ているようには感じられない。むしろ月の光にも似た淡い優しさが満ちている。足取りは跳ねるよう。
 よく分からない物品があれば義弟はよく質問し、分かるものに関してはタナッセも答えた。興味深げに相槌を打ち、購入欲まではそそられなかったようで別の店に場所を移す。おかげで一つの店を覗いている時間がやたらと長くなる。
 タナッセは何か気に入るものはないのかと水を向けてられることもあった。問われて彼は、あまり自分が品物を目に入れていないと気付く。いつになく楽しげな、なのに頼りない、そんな義弟を気にかけてばかりいる。
 子供っぽい。
 あぶくのように、一言がタナッセの心に浮かんだ。年齢を思えば子供であるのは当然なのに、“っぽい”とつけてしまった無意識を笑いかけ、むしろ適切ではないか、と考え直す。恵まれない環境で育ったというもう一人は、子供らしい子供だった時が果たしてあったのだろうか。
 彼はヴァイルとももちろん親しくしているが、初期からして関係性は傍で見ている限り面倒見の良い兄と弟の体である。初期――母を自殺で亡くし、登城してきたばかりの時分から、だ。負担にしている様子は当時窺えなかったが、あの頃はまだ義弟がタナッセを兄として頼ってくることもない距離感でいたから確実ではない。未だに義弟については理解が困難な面が数多くあるのだから。
 タナッセは、義弟の手を握り替えした。部屋を出る前に掴まれてからずっと機を逸してきたが、気付けた今、しないのはどうにも嫌だった。たとえ誰かにぶつかったとしても離れないよう、しっかりと力を込める。
 あ、と驚きの音がタナッセを見上げ、視線を落とし、また見上げてきた。
「わあ……!」
 感嘆詞と共に、義弟も手に力を込める。ほとんど触れているだけだった手繋ぎは、ようやくその語に相応しい形に収まった。やけに照れくさいのは全く謎だとタナッセは内心ぼやく。
 義弟は手を繋ぎ合ったことを契機に、いっそう子供っぽさを見せ始めた。騒ぐでも喚くでもないが、表情や喋りが出会った頃ですらもっと大人びていたと感じるほどに、子供であるタナッセからしてもあからさまに幼い。
 だからだろう。子供な彼が目に止めたチョーカーを買った時、早速つけて欲しいと顎を上げた義弟の首に、侍従か何かのようだなと軽いため息をつきながらも言われるがままに巻いてやったのは。
 似合うかとタナッセに尋ねつつも自分の首を見ようとする義弟は、本当に年相応のこどもらしかった。見えやしないだろうに。
 普段は襟に隠れてしまうためだろうか。
 彼が気に入り購入したチョーカーは、普段好んで仕立てる衣装や小物類とは真逆の色味をしていた。










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