いわゆるフリーゲームに関する感想や二次創作メインに投稿しています(2023年現在)。取り扱い作品:『冠を持つ神の手』

2012年11月28日水曜日

【かもかてSS】Phtonos

【 注 意 】
・タナッセと主人公の印象・好感が共に友プラス愛マイナス、
 多分主人公の方が友プラス度高い
・タナッセ視点三人称と主人公視点一人称、主人公の容姿への言及あります



P h t o n o s



 ばさり。
 どすん。
 ぎしり。
 すとん。

 静かな図書室ではいくら音を抑えようと最大限気を遣って動いても動きの一つひとつが静寂を乱す。タナッセが物音に顔を上げると黒髪が視界の端に紛れ込んだ。見やれば幼い癖に醒めた表情の持ち主が椅子と書物に埋もれるようにして目と手を忙しく動かしている様が遠目にもはっきりと分かる。元より伏し気味の瞳が更に伏せられ、長くはあるが巻きの淡い睫毛がはっきり顔に影を落としているが、さて、視界は遮られていないのだろうか。
 またぞろ非効率な勉強を行っているようだな、とタナッセは寄って厭味を挨拶代わりに投げた。彼の言葉に顔を上げぬまま、先日まで読み書きなど出来もしなかったこどもはこう返した。なら自習の効率化を手伝って欲しい、と。要約するとたわけかお前はになる首振りを彼はする。応えは沈黙だったので、更に喋った。それとも何か、貴様は母上が付けた優秀な教師陣が役立たずだと私に訴えることで、遠回しに自分の実力を示すつもりなのか。そこでこどもは顔を上げた。少しの哀れみを乗せた半眼と、引き結びつつも尖らせた唇と、――前髪の向こうに透ける印が、見つめてきた。訳が分からない。そう呟いて、こどもは開いた本を全て閉じ、羽筆のインクを拭い、インク壺は蓋をして、つまりは場を去る準備を始めた。
 タナッセの、胃か腹か曖昧な辺りに腹立ちの熱が沈殿し始める。このこどもは、時々こうして彼の言い様にさしたる反応も見せず、場を去ったり、存在を無き者にするのだ。……大概は対抗するように何かと突っかかる態度を取る癖に。本当に時々、気まぐれのように。熱をこらえず彼は口を開きかけ、不意に重ねられた書物の題名に目が行った。いずれも見覚えがある。どころか、中身すらほとんど暗誦できる――……。
 その時こどもの鋭い静止が耳を打った。こどもは一冊の本を胸に抱いて、先までの醒めた色など忘れた頬の赤みのまま、言った。私が詩学の勉強をしたらおかしいのか、そんな顔をするぐらいいけないことか、だって仕方がないじゃないか、そういう授業だってあるのだから。くってかかるこどもは更に深く胸の本を抱きしめる。だが題名は僅かに覗けて、しかもそれは、先の書物より更にタナッセにとって身近な代物。ディレマトイの、詩集だった。
 何を言ってどう去ったか、むしろどちらが先に図書室を出たのか、タナッセは覚えていない。ただ、気がつけば自室の机に向かっていた。無様を晒していなければいいがと唇を噛み、同時にどっと様々な感情と思考が彼を襲った。

 次の週、こどもの中休みの日。
 タナッセはこどもと一つの契約と一つの約束をした。

          *

 私はタナッセから見えないようにその本の題名辺りに手を回す。
 彼のことは嫌いではない――好きとも言い切れないが、しかし誰もいない訓練所で剣を振るい、よくよく聞けば助言にすら響く皮肉になんとも言えず親しみを覚えているのも確かだった。それでもまだ自分の好む詩歌について知られることは恥が強い。ほとんどを読めていないとなれば尚更のことだった。碌々中身の分からぬ詩集と作者をどうとかこうとか、ああやめよう想像で腹を立ててどうするというのか。自制をするが、彼は片付け途中の書の題名に目を向け、あまつさえ深く抱えた詩集の題名にも反応をした。息を呑み、頬の辺りを痙攣させ、繊細だが男性的な眉は不快を示す歪みを描く。
 ただでも熱かった頬はよりいっそう熱を強くし、最早顔全体が炎で直接あぶられている錯覚さえ覚えた。
 最低最悪なことに、私の図書室での記憶はそこで終わっている。大概な言動をしたのだろうかと寝台に突っ伏し、思考の中でだけ悶絶する。一つ幸いなのは、ディレマトイの詩集を忘れず持って帰ってきたことだ。
 ただ……今度タナッセと顔を合わせた時、取るべき態度はどうしたものだろう。ディレマトイなどと言う流行りの詩人が好きかああ違うか成程貴族連中に取り入ろうと必死なのだな本当に王を目指しているとはどうとかこうとか、いかにも彼が口にしそうではある。むしろ、彼がつついてこない理由がない。

 何通りか返しを用意して、だが私の準備は無意味に終わった。予想を突き抜けた展開のせいで、むしろ想定が足を引っ張り何も言えずに沈黙が喉に落ちる。
 婚姻とはどんな意味を持つ単語だったか。
 ――持ちかけられた取引に、あるいは付随する台詞に、言ってやりたい言葉は山積していた。だが私が王になりたいという一点において、タナッセの申し出は利点があった。下手に言い返す考えは脇に押しやり、受け容れ、その上で警戒の壁を心に打ち立てることを決める。裏がある。王配になる気など一切合切なさそうな彼には、まるで利点のない取引なのだ。事実彼は自身の望みが何かを述べない。私も問わない。
 ただ、続く言葉に少し視線を逸らしてしまう。恥ずかしい真似はよせと言われて、図書室での一件が思い出されたからだ。タナッセが鼻を鳴らす。鳴らして更に言う。たとえばこの前の図書室のような。今度は顔ごと横に向け、考えていた返答を急ぎ漁り出すが、焦りで思い起こせない。こちらの焦燥を当然知るよしもなく、言葉は繋がっていく。あんな非効率きわまりない自習などやめろ、自分は莫迦だと言いふらしているようなものだ。苛立ちを覚えて私は顔を正面に戻し、けれど、……お前が望むなら、と今度はタナッセが僅かに視線をずらした。
「……お前が望むならば、指導してやっても良いぞ。そうでもしなければ、無様で見ていられないからな」
 視線が絡まないままで紡がれた二つめの申し出は、毒気の抜かれてしまった私の頭に抵抗なく入り込む。今し方までの決意をその時は忘れ去り、私は肯いていた。
 胸にある微かな喜びは、やはり詩集の読み解きがより早く出来るようになるからだろう。ディレマトイの詩は、まあ読めるものはまだ数作しかないのだが、いずれも共感と感動を呼ぶもので、もっとたくさん彼の作品を知りたいのだ。何しろ私には心の澱を、あるいは襞を、たった数語、もしくは数文で的確に言い表すなどまるでかなわない。風景を、情景を、ああも鮮やかに受け取る感性も書き表す衝動も、ありはしない。
 ありがとう、と。
 私はまた顔を逸らすと一言を呟いた。










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Phtonos=ギリシャ語における「嫉妬」、七つの大罪の一つ
個人的な嫉妬へと言う感情への考え方をスパーンと短くまとめてくれた
「境ホラ」に感銘受ける形で一般的な英語表記でなくこちらの表記を取りました。

「暴食も淫蕩も強欲も悲嘆も憤怒も嫌気も虚栄も驕りも、何かを妬み、何かになりたいという願う思いの行き過ぎや、その反動によるものだよな」
(『境界線上のホライゾン I上』より引用)

しかしまあ現在見事に「境ホラ」関係しか上位に出ませんなコレ。
深く漁ればネットでも資料(引用系だから厳密には二次・三次資料)出ますが……。